心霊スポット北海道炭鉱廃墟の場所は?ランキング有名順紹介!

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今回は『心霊スポット北海道炭鉱廃墟の場所はどこ?ランキング有名順紹介!』というタイトルでお送りします。

北海道と聞くと大自然の観光地巡りや豊かな魚介類を食べるグルメ旅行が浮かびますよね!

心霊スポット北海道炭鉱廃墟の場所を調べてみます。

結果をランキングの有名な順にして紹介いたしますのでご覧ください。

これからの北海道旅行は心霊スポットを巡るのもミステリーツアーとして人気になるかもしれませんよね!

 

Contents

心霊スポット北海道炭鉱廃墟の場所は?

  • 心霊スポット北海道太陽小学校
  • 心霊スポット北海道グリュック王国
  • 心霊スポット北海道冬季オリンピック跡地
  • 心霊スポット北海道住友奔別炭鉱
  • 心霊スポット北海道北炭平和炭鉱
  • 心霊スポット北海道幌内炭鉱

 

リストアップしたのは6か所です。

 

太陽小学校

太陽小学校の所在地は北海道苫前郡羽幌町字築別炭砿11です。

1940年(昭和15年)12月8日に、太陽尋常高等小学校として開校しました。

今から80年も前でその頃の日本ではエネルギーを石炭に頼っていたんですね。

炭鉱が急激に繁栄した当時の羽幌町は人口2万人を超えていました。

人口増加すると当然学校を建てなくてはなりませんよね!

急きょ太陽産業の社宅を手直しして校舎にしたんです。

様々な曲折のあと1962(昭和37)年に他にはないデザインの円形体育館が完成しました。

1967(昭和42)年3月、3階建の鉄筋校舎を新築したのですか゛それが絶頂期だったんですね!

1970(昭和45)年に石炭産業の衰退で羽幌炭鉱は閉山に追い込まれて働く人も町を去ってしまいました。

その結果太陽小学校は1971(昭和46)年に閉校しました。

その後は放置したままになり朽ちた状態の廃墟となっています。

円形体育館ドームがあるので珍しいと、心霊スポットとしても人気になっているのです。

2018(平成30)年3月、老朽化と北海道を襲った豪雪で雪の重みにより無残にも倒壊してしまいました。

 

グリュック王国

 

グリュック王国は北海道の帯広にあった中世のドイツの町を模して造られたテーマパークです。

1989年1月に開園しました。

名称のグリュックはドイツ語であって「幸せ」という意味で「幸せ王国」となるのです。

この当時日本ではテーマパークがブームだったんですね。

開園してしばらくは人気があったもののやがて下火となり資金繰りにも事欠くようになりました。

2003年には休園に追い込まれ、ついに2007年に閉園になりました。

閉園後はそのまま放置されて建物や施設は老朽化して心霊スポットとして人気の高い場所となっています。

建物への不法侵入者が多数でて、大きな問題となったこともあるのでご注意を!

 

心霊スポット北海道冬季オリンピック跡地

第11回冬季オリンピックは北海道札幌市で1972年(昭和47年)に開催されました。

アジアでは初めて開かれた冬季オリンピックとなったんですね。

オリンピック開催によって、競技場が建設・整備されたのは当然のことです。

冬季オリンピックの競技場は独特な設備が必要なんです。

ボブスレー、リュージュは日本にはコースがどこにもなかったんです。

オリンピックにしか使われないものだったんですよね!

今では開催から50年も経過して建造物は放置されるままで廃墟と化しています。

心霊スポットとして人気になるのは、ちょっと寂しいですね。

 

 

住友奔別炭鉱

住友奔別炭鉱(すみともほんべつたんこう)は、北海道三笠市奔別町260にあった炭坑です。

1886(明治19)年に開鉱、 1900年(明治33年)に奈良炭鉱として開鉱しました。

今から130年以上前のことですからずいぶん長い歴史があったんですね。

1930(昭和5年)に住友炭鉱の経営となりました。

1960(昭和35)年完成の高さ51メートルの立坑櫓(たてこうやぐら)はその深さが735メートルで内径が6メートルのものでした。

施設の規模からいって百年採炭できると豪語していましたが、長く続かず不況がやってきました。

1971(昭和46)年閉山を迎えることになってしまったたのです。

100年どころか、やっと11年しか操業できなかったことは、残念だったでしょうね!

今では廃墟と化して心霊スポットとして他にはない設備があることで人気があります。

 

北炭平和炭鉱

北炭平和炭鉱(ほくたんへいわたんこう)は北海道夕張市北西部にあった炭鉱です。

1890年(明治23年)北炭が夕張炭鉱を開発し始めました。

1912年(大正元年)北炭夕張炭鉱4月に(死者267人)と12月に(死者216人)の爆発事故が起こりました。

犠牲者の数を見ても地下深くでの事故の大きさに驚くばかりですね!

優良な鉄鋼コークス用原料炭を産出していて今から60年前の1960 年代では最盛期で北炭の主力ともなっています。

石炭産業の衰退から1975年に閉山した。

今では北炭平和炭鉱の選炭工場の跡地は整備されて運動公園として使用されているます。

ただ作業員の事故死があまりにも多かったのでさまよっている霊魂もまだたくさんいるのでしょう。

ここへ足を運ぶときは気をつけてくださいね!

 

幌内炭鉱

1879年(明治12年)に官営の炭鉱として開山の大規模炭鉱であります。

1989年(明治22)年北炭が幌内炭礦を下げを受け民間企業の経営になりました。

1975年(昭和50年)11月ガス事故が坑内で発生して50名近くの死者が出ております。

1963年(昭和37)の原油(石油)の輸入自由化によって日本はエネルギーの大転換が起きたんですね。

石炭産業は急速に縮小し1989(平成元年)幌内炭鉱は閉山に追い込まれました。

現在は残されていた建物や設備は当然荒れ果てて、みすぼらしく見えて悲しいものがあります。

ただ心霊スポットとしてマニアの間では人気があるようです。

死者の霊がさまよっているかもしれないので気を付けてくださいね!

 

心霊スポット北海道炭鉱廃墟にtwitterの声は?

1975年に閉山した北炭平和炭鉱。草むらのなかに残されていた人車と炭住。現在は撤去され跡形もない。
北炭幌内炭鉱幌内立坑櫓 1975年に発生した幌内炭鉱ガス爆発事故
お雇い外国人による指導で、石炭層の発見~採炭から輸送に至るまで機械化が進められた、日本の近代炭鉱の先駆け的存在である。
かつて空知地方には100を超える炭鉱で多くの人が生活していた。
1971年に閉山されたこの地は、穏やかな風が吹き抜けるのを感じられる。
誰が撮っても似たような写真になる住友奔別炭鉱立坑櫓

などTwitterには声が寄せられています。

皆さん心霊スポットの愛好家のようです。

 

まとめ

今回は『心霊スポット北海道炭鉱廃墟の場所はどこ?ランキング有名順で紹介!』というタイトルでお送りしました。

北海道と聞くと大自然の観光地巡りや豊かな魚介類を食べるグルメ旅行が浮かびますよね!

アルコールの好きな人にはビールやウィスキーを飲むことしょう!

心霊スポット北海道炭鉱廃墟の場所を調べてみました。

結果をランキングの有名な順にして紹介しましたがいかがだったでしょうか。

北海道旅行は心霊スポットを巡るのもミステリーツアーとして人気になるかもしれませんよね!

ご愛読いただきありがとうございました。

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